さて、今日は、、、*
アメリカ留学6日目。
昨日までのブログで怒涛の書類集めの戦いを書かせていただきました。
気温が42度を超える中、探し続けること、いろんな場所に行き続けることは、とてつもなく大変でしたが、私のために動いてくれた先生と先輩を思うと、私は何も文句は言えないので、感謝の気持ちを念頭に置いて、過ごさせていただきました。
そして、いろんな書類が集まった5日目を終え、この日は先輩のお力を借りて、運転免許にトライしようと動いたのですが、
なんと、、、、
先輩が高熱を出してしまったのです。
朝起きた時は、なかなか先輩がお部屋から起きてこなかったので、私はコインランドリーにいって、洗濯物を片付けていました。
そして、1時間後自分のお家に戻ると、先輩から体調の悪さを伝えられ、体もとてもぐったりしていたので、その日の予定は全てなしにすることになりました。
私のせいで体調を崩したんじゃないかとすごく申し訳ない気持ちでいっぱいになったのですが、先輩は、久しぶりに先生と私と再会して興奮したんだと優しく答えてくださって、どこまでも優しいなと思いました。
たまご粥を作ったのですが、母のありがたみを一番に感じました。
私の母は、ずっと子供達3人が中学生、高校生以上になるまで専業主婦をしていました。
幼い時の私の記憶は、いつも母が家にいたということ。
風邪をひいたときは、必ずポカリと栄養のある食事とっていつも面倒を見てくれました。
先輩が全部完食してくれて、美味しかったよ、ありがとうってベットで言ってくださったとき、涙が出そうになりました。
嬉しくてとかじゃなくて、ただ単に母への気持ちがこみ上げたんだと思います。
母の前では、留学手続きの間、ずっと涙を見せていました。
というよりも、生まれてからずっと、何かある度に辛いことがあると泣いていました。
決して、自分からは聞いてきません。いつも私が話し出すのを待っています。
そして、誰かを悪者にするようなことは言いません。
たとえ、その子にひどいことを言われても。
そんな母の優しさを思い出し、アメリカに来てから6日目にして我慢してたものがブワッと出てしまったのかもしれません。
私のお母さんは、どんなときも家族の夜ご飯を作って待っていました。
友達と飲み会に行くなんて、全然しません。
私たちが学校に行っている間、習い事をしている間に、母は友達とご飯に行っていました。
でも、それに気づいたのは本当にそのころで、、、
母はいつも家族優先で、子供達だけで夜ご飯を食べる時間を作ることなく、家族の時間を作るためにそばにいてくれたんだなとつくづく気づかされました。
そして、先輩はうちにうつしたら申し訳ないと言って、私のホテルから別のホテルに移動して、その次の日に自分の大学のある大都市まで飛行機で帰りました。
前回までのブログを読んでくださっている方は、不思議に思ったかもしれませんが、私の借りたホテルは、前にも書いたようにもともとおうちになっていて、それをホテルとして貸し出しているのですが、個別のお部屋が二つあります。
なので、一般的なダブルベットが置いてあるホテルとはつくりが異なっていて、みんなお部屋が別々で、リビングルームが共有になっているものになっています。
そのため、寝る時は、私自身がソファで全然寝れたので、先生と先輩は別々のお部屋で寝れたということです。
先輩が体調を崩されたことに関しては、とても悲しい気持ちでいっぱいになりました。
私のために朝から夜まで、いろんなトラブルに巻き込まれながらも何一つ文句を言わずにずっと私の手伝いをしてくださったこと。
この恩は、一生忘れることはありません。
9ヶ月たった今もスラスラ打てるほど、感謝の思いは溢れてきます。
偉そうに聞こえるかもしれませんが、誰かのために動いたり、直接力になることは、人間誰もができるわけではないと思います。(私にこれができるかって言われたら、きっと違うから)
そして、私自身、その先輩と面識が多くあったわけではありません。
先輩が卒業してから私が入学したので、一度しか日本ではあったことがなくて、先生を通じてお互い知るようになったからです。
親しいわけでもない、大切な友人なわけでもない。
それなのに、親身になって相談にのってくれたり、授業の選択を考えてくれたり、あの三日間私のそばで支えてくださったのは、本当に愛でしかないとまたひとつ学ばさせていただきました。
今もなお、その先輩とは連絡をとらせていただいているのですが、あの日以来、私は先輩には会えていないので、コロナウイルスが落ち着いたいつの日か、必ず会ってもう一度お礼を言いたいなと思っています。
アメリカ6日目の夜には、またひとりぼっちになりました。
たったの二日間。
あれは一瞬でした。
そして、それからの日々のなかで日本人の温もりを直接感じるのは、あのサヨナラをした6ヶ月後になります。
アジア人との出会いのない学校で、アジア人なんて住んでないと思ってた街で奇跡の出会いを果たすのでした。
こんな出会いがあるのかと、驚くことが何回もありました。
私には、留学生という同じ気持ちのわかる友達が学校にはいません。
つまり、私の友達は、全員現地の人です。
新しい出会いが多いわけではない私の選んだ街で、たくさんの幸せな出会いを自分で掴んでこれたことに、今は不思議と感謝の気持ちが入れ混じった夢のような気持ちになっています。
思いが溢れてばかりで、言葉にするのは難しいのですが、今はただ、一つ一つ言葉にしていけたらなと思っています。
今日はこのあたりで。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
手洗い、うがいをお互い大切にしましょう。
またね。