こんにちは。
みなさん、いかがお過ごしですか?
今日は、昨日のお話を。
今は、3月24日水曜日の朝なんですけど、おとといは久しぶりの宿題地獄でした。
アメリカ史のクラスの宿題でふたつのディスカッションを提出しなくては
いけなかったのですが、
教科書 約60ページを読んでからの提出となりました。
私は受験生時代に世界史を取っていたので、
ほんのちょっとアメリカ史をさわっていたとはいえ、
やっぱりまだまだ抜けている部分がありました。
今思えば、いろんなことをもっと勉強していけば良かったなって思います。
でも今、こうやって学び続ける楽しみをアメリカで学ばせてもらっているのは、
すごく幸せなことだなって次の日、朝起きた後に思えたのは大きな成長でした。
アメリカ史は、いろんな諸説があったりするのと、
やっぱりアメリカの教科書は、内容がとても濃いです。
もちろん日本で学んだものとほとんど重要単語は同じなのですが、
詳しいところまで学べる機会をポジティブに考えていきたいです。
来週は、ふたつテストがあるので、今週からまた気を引き締めて頑張ります。
今日の一枚

今日は、この写真を。
これは、先生の奥さんと学期初めにケーキ屋さんにいった時のものです。
アメリカに来て、一番好きなお店になりました!!!
もうめちゃくちゃ美味しかったです。(もちろん良いお値段でした笑)
アメリカのケーキは、一般的にすごい甘くて大きくて、
”The アメリカ”といえるような味が多いのですが、
この店は、ヨーロッパの西洋菓子と同じスタイルであり、味もそっちに似ていました。
まるで東京で初めて出会ったお店の時と似たような気持ちになりました。
そこを教えてくださった先生の奥さんには、めちゃくちゃ感謝しています。
テストを頑張ったらまた行きたいなって思っています。
さて、今日は、、、*
コロナ渦でアメリカに残ることを決意。
さかのぼること一年前。
この頃 ちょうどコロナで食料もなくなり、生活用品に支障がでた頃でした。
そして、お友達のいとこさんの誕生日会に参加させてもらった次の日、そのまた次の日と、
私は家で大人しくしている日々が続いていました。
なぜなら、日本に帰れるかもと、期待していたからです。
もちろん、チケットはもう返金されていて、
もともと私が出国する日にちも過ぎていました。
でも、春休み後にオンライン授業になるのであれば、
もしもの時、やっぱり家族がそばにいた方が嬉しいし、
同じ言語である日本の病院に行けることを願っていました。
ずっとずっと学校側からの連絡を期待して、日本の友達と情報交換をしたりもしました。
その間に、ヒューストンにいた先輩から”明日、日本に帰国する”と連絡があり、
大学側から
”2020年春学期、そして夏休みまで全クラス
オンラインへ変更になること、出入り禁止になる”
と、連絡があったようです。
ペンシルベニア州の大学に行っている私の友達は、もうすでに春休みが終わっていたので
その時期には、オンライン授業への連絡もあり、変更が完了しつつある時でした。
それなのに、私は未だ春休みということもあり、連絡が一切入ってきませんでした。
毎日不安ななか、家で過ごし、日本の友達や家族、アメリカにいる生徒からたくさん連絡があり、
その緊張は穏やかになりながらも、電話を切った後は、一人不安な日々でした。
春休みが始まった5日目の金曜日。
なんと両親から今すぐ帰ってきてほしい、とにかく荷物を全部ダンボールに詰めて、
家の前において、一応のために友達にも連絡して、と
話が進んでいました。
そんな中、なんと学校側から春休みの延長が連絡されました。
つまり、学校側がオンラインに変更することを決意し、それの準備で
ウェブサイトの変更、オンラインでの授業の実行、
色々なものの準備が必要になったんだなって思いました。
もう本当に本当にショックで、
しかも祖父から、今のこの状況で飛行機を利用すること、動くことは
本当に危ないからやめたほうがいいと連絡がありました。
でも、それは正解で、あの時期
世界中から強制帰国になった
留学していた生徒、海外駐在ご家族、単身できている人たち、出張で向かっていた人たち、
いろんな人が急遽帰国せざるを得なくなったのです。
日本の空港にたくさんの帰国者の方が集まり、感染リスクが上がることは想像できました。
そして、私の街ではコロナが流行っていないにせよ、日本に帰国するには、
田舎なので、大都市の空港まで行き、乗り換えをしなくてはいけません。
それもあり、私は泣きながらあの日、アメリカに残ることを決意しました。
夜8時には就寝してしまうほど、すごく疲れていました。
今振り返って思うことは、
一人で勝手にアメリカの学校と契約したということは、
今までもこれからも全てが自己責任になります。
人と違う道を選び、人と同じレールではないからこそ、
何歳で就職活動、何歳で大卒になって、何歳で就職という
日本で言われる世間一般的なものは、今後一切ありません。
今で言えば、私は就職活動をしているのですが、
”202?年3月卒”というカテゴリーに当てはまることはありません。
しかも去年の今頃、2020年3月には、私は学校を変える過程にいました。
今まで、何度かこのブログでも話させていただいたのですが、
正直、国境では私は生きていけないと思っていました。
いろんな友達に出会う中で、もちろんそれ以上ありがたいことはないし、
よくしていただいて、すごい幸せなことに違いはありませんでした。
でも、私には車がありませんでした。
持っていないことが、どれだけ自分の閉塞感につながって、
ご飯を買いに行くときですら、目立ち、声をかけられ、止められることがありました。
そして、何より、自分のことをうまく表現できず、言語の違い、文化の違い、
マリファナ、薬、アルコール、いろんなものが私の生活の周りにいきなりきて、
どんなに私がそれらを避けていたとしても、
それを目の前にすることは多く、
現地の友達しかいないという状況が時に辛くなることがありました。
誰かとこの寂しさを共有したり、
留学生として困った時の対処法、相談、共感、
これら全てありませんでした。
都会で育ったのもあり、言い方は違うかもしれないけど、一気に全てを取り上げられた中での
個性を見つけること、主張すること、そうではないと、埋もれていってしまうこと、
それら全部が私の大きな壁となり、肌はもう限界をあらわしていました。
しかも、ニキビではなくて、なんだか異常を示していたというか、
赤く腫れ上がっていました。
だからこそ、留学生の多い、そして、ホストファミリーから自立しながらもすぐに会いに行けるような、
マイアミの近い大学に編入を考えていました。
そこでは、多国籍の生徒がいて、留学生ももちろんいることから、
新しい環境に行こうと思っていました。
ここで何が違うかという点なのですが、
正直、東京の方が海外からきている人たちに出会える機会があるという
気持ちはありました。
もちろん、フレンドリーですごく優しい人たちも多いけれど、
留学生に出会うことも少なければ、コミュニティーを広げることもなく、
小さいコミュニティーを好む傾向がありました。
でも、ここでは普通のことなのです。
なぜなら、ここは大都市ではありません。
ローカルなカレッジを選んだ以上、それは変わることはありません。
みんな高校からの友達と仲良く繋がっていたり、
近所の友達と仲よかったり、そういうものも理解できます。
でも、自分の中でカルチャーショック以上の何かこう自分を肯定できず、
他人を信じられない感情に押しつぶされていました。
”私が東京出身だから、仲良くしたい” ”私が日本人だから日本語を教えて欲しくて繋がる”
そんな風に、自分自身ってなんなんだろうって
悩む日々が続いたのを覚えています。
今日は、このあたりで。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
手洗い、うがいをお互い大切にしましょうね。
またね。
こんにちは^^
宿題地獄でしたか テストも頑張ってください☆☆☆
アメリカ史はpikaoも深堀して学びたいですね
アメリカは歴史が浅いものの曖昧なところも沢山あって面白いそうです☆♪
ちょうど1年前はコロナは未知の感染症で良くわかってないのが恐怖でしたね
ワクチンがでてきてこれから収まることを願うばかりです
きょうの1枚 甘ったるい大き目のケーキを食べて脳に刺激を与えてさらに頑張ってください(*^0^*)~♪
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温かいお言葉ありがとうございます。アメリカは、基本的にはほとんど実力社会で、学校でも成績が良ければ、人数制限なくそれぞれが返金制度を使えるので、それが何よりモチベーションになっています。今期も自分の努力が形になるよう頑張りたいと思います!遠く離れた私の経験にいつも寄り添っていただけることありがたく思います。
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