国境留学+ホストファミリーとお別れ(111)

こんにちは。

みなさん、いかがお過ごしですか?

最近とあることに気づかされました。

今は、オンライン授業が多いので、英語を一日中話すことは少なくなったのですが、大量の宿題のために、英語に触れていることは確かです。

そのせいか、最近日本人の友達と電話する度に言われることがあります。

「ねー、、、最近、カタカナ英語多すぎるよ。」

「ねー、、、どうしちゃったの、英語と日本語混ざってるよ。」

私は、全く気づいていなかったのですが、それを言われてから気にするようになりました。

最近さ、すごいホットだよ(暑い)
それ、すごいレイジーだよ(やる気なさそう、怠け者)

友達の会話の中で、私は知らず知らずのうちに言ってしまっているようです。

英語では、

“Today is too hot.”

“It’s super hot outside.”

なんてアメリカの友達がよく言うのですが、その影響で、私が日本人に話すときも、英語を日本語に変えないまま伝えてしまっていると。

レイジーに関しては、これはもう英語ですよね。

何やっているんだろう、ちゃんと日本語話さなきゃって自覚しました。

友達には、私が英語の世界に慣れたってことだよとか、頭の中が英語になりつつあるんじゃないって優しく言ってくれたけど、私はもっと気をつけようって思いました。

家族にも1つ言われたのですが、英語は、”〇〇〇〇 because 〇〇〇〇.”っていう文があると思います。

アメリカ人の言い方でいうと、

ぶらぶらぶらぶら、なぜなら、ぶらぶらぶらっていう言い方をします。(アメリカ人は、何かを省略して伝えるとき、Bla(ブラ)をめっちゃいいます。)

そのせいで、日本語にした時に、

これこれってこうなんだよ、しってる?こうこうこうだからだよ。
なんでか知ってる?

って、いうこのフレーズを言ってしまっていたみたいです。

ひどいですよね。ひどすぎて自分でも引いてしまいました。

英語は、海外の人と言語伝達する上での道具でしかないので、日本語が伝わるって私からしたらありがたいし、それが一番だから、日本語を話す時は綺麗な日本語を話そうと最近思っています。

今日の一枚

今日の写真を!!!

これは、フロリダでお別れする日の空港に向かう時に撮った写真です。

あの日は、空港前までは泣かなかったけど、最後にホストマザーとお別れする時に泣いちゃいました。

号泣です笑

人の温もりとか、優しさに私は本当に弱くて、21歳で一番泣いたかなって思います笑

また国境で一人になってしまうのか、もうどうやって乗り越えていこうか、、、恐怖がまた溢れたりもして、それと同時に、

大きな愛と優しさで、たくさんの思いやりの言葉と行動で包んでくれたホストファミリーには心から感謝しています。

約3週間、仕事も学校もある中で、私のことを家に置いてくれてありがたかったです。

きっといろんなこと思っただろうに、このブログでもずっと前に書かせていただきましたが、フロリダに行くことは迷っていました。

お前は、非常識だって怒鳴られたりもしたからです。

だけど、それがちゃんとできたのは、私とホストファミリーとの関係性で生まれたものなんだなって素直に思えました。

今日は、そのお話を。


さて、今日は、、、*

ホストファミリーとのお別れ

楽しくフロリダ生活を過ごして、約3週間が経ちました。

2020年1月10日。

朝早い飛行機に合わせて、そしてホストマザーの仕事があったので、私たちは日が昇る7時前に家を出ることになりました。

ホストファザー、そして、娘さん、息子くん。

みんな起きてくれて、最後にハグをしてくれて、息子くんは一瞬起きてまた寝ちゃったけど、お別れをしっかり言えて素敵な瞬間が過ごせた気がしました。

そして、車の中では、ホストマザーといろんな話をしました。

思ったこと、幸せだったこと、嬉しかったこと、また戻ってきたいこと。

全てを言葉にできた時、初めて自分の成長をホストマザーの前で見せれた気がしました。(初めて彼らに会ったのは、私が19歳の時でした。)

しかも今回は、前回と違って、学校の生徒や先生方もいません。

一人でフロリダのお家にお邪魔したからこそ、たくさんご迷惑をかけてしまったので、申し訳なかったし、謝罪の気持ちもありましたが、あの車の中ではとにかく感謝を伝えよう!って一生懸命話していたのを覚えています。

ホストマザーは、

強さ、責任感、優しさ、包容力、たくましさ、

そして何より、

一人の労働者、一人の母親である前に、”一人の女性であること“を一番側で教えてくれた人でした。

私の母は、私たちが子供だった時専業主婦だったのもあり、母親像がまた全然違うので、改めて良い経験だったなと思います。

私もそんな風に歳を重ねていきたいなと思いました。

お母さんとわかれた後、私はまた一人飛行機に乗り、テキサスの国境の町に戻ります。

そこでもまた、空港の乗り換え時、待っている間にホストファミリーのおばあちゃんやおじいちゃんがクリスマスプレゼントでくれたスタバやサブウェイのギフトカードを大事に使わせてもらい、離れた後も優しさを感じることができました。

そして、無事に国境付近の空港に着き、学校の友達が迎えにきてくれました。

フロリダと気温差はあまり変わらないのですが、また一人で新たに生活が始まるのかと夜寂しくなったことを覚えています。

2つ目のセメスター、、、、どんな人に出会うのか、どんな先生や友達に出会えるのか、また泣いてしまうのか、、、いろんなことがありました。

ましてやその頃、コロナの存在も知らなかったので、、、、

今日は、このあたりで。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

手洗い、うがいをお互い大切にしましょうね。

またね。

投稿者: アメリカひとり留学

はじめまして。 私は、東京生まれ東京育ちの下町っ子です。 今はアメリカにあるアジア人1%の学校に通っています。 自分が企業や学校を使わずに、一人でアメリカの学校と契約したことや留学生活について、文字に起こしていけたらなと思ってます。 そして、今現在コロナウイルスで世界中が大混乱になっていますが、私は現在もアメリカに残ってオンライン授業を受け、隔離生活中です。 少しでも、『あ、こんな子がいるんだ。』って知ってもらい、 家族と一緒に生活している方は今の環境を幸せに思ってもらえたら嬉しいし、 私と同じく今一人で生活されてる方には、一人じゃないっていうことがほんのちょっとでも伝われば嬉しいです。 よろしくお願いします。

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