国境留学(110)

こんにちは。

みなさんいかがお過ごしですか?

フォローしてくださっていた方、長い間ずっと更新ができないままで申し訳なかったです。

お久しぶりです。

私は、今現在もアメリカとメキシコの国境にあるCollegeに一人暮らしをしながら、通っています。

11月のブログを最後に、学校の宿題提出に終われ、休む間も無く、ファイナルテストがあり、そして、日本への一時帰国という日々でした。

何からどう話していいのかわからないのですが、とんでもなく大変な3ヶ月というより、濃い3ヶ月だった気がします。

今日は、簡単に3ヶ月間を振り返り、また秋学期のこと、飛行機のこと、日本での隔離生活のこと、アメリカと日本を比べての感想、日本の友達の意見、そして、今現在受けている春学期の授業については、明日以降順に詳しくブログに残していきたいなと思います。

過去一辛かった秋学期を無事に終え、私は、逃げるように日本に帰りました。

前回の秋学期、私は車がなかったので、自分で好きなように息抜きに外に行けないこと、ましてやコロナで学校で友達に会えない、友達の家に行ける回数も減る。

友達のお父さんをコロナで失い、一人でどのように乗り越えればいいのか、誰に話したらこの悲しさが共有できるのか、私は一人でとことん泣いて、異国の地で迷い込んでしまった状態でした。

でも唯一、以前このブログにも話させていただいたアメリカ人のチューターさんのおかげで、私が毎日必死に宿題をやって、期限内に提出するというこの姿勢だけは貫くことができました。(アメリカの学校の宿題はとてつもなく多いのです、、、)

私がGPAをキープし、成績優秀者の賞をもらうという日本じゃ考えられなかったところまで泣きながらですが、たどり着くことができました。

たくさんたくさん支えになってくださいました。

なんども彼の目の前で泣いてしまったし、もう帰りたい、帰りたい、助けてほしい、その連続でした。

でも、車を毎週無料で貸してくれて、運転の仕方を教えてくださる方、日本から毎日電話をかけてくれる友達、アメリカ人のご家族がご飯を分けてくださったり、ホームパーティーに呼んでくれたり(お家でのディナー)、今思い返せば、私は一人ではなかったんだなって思えるまでになりました。

そして、日本に帰った私は、、、、、

アメリカにいた際、日本に帰る前は2週間ほぼずっと家にいるよう努めてからの帰国だったので、無事に陰性でした。

そして、その後の2週間は、私の自宅が数階あって、祖父母とは隔離できるようになっているので、そこで隔離の日々が始まりました。

隔離後も、そして、今も私の家族はみんな元気なのですが、私が帰国した時、きっと私が無症状なだけで菌を持っているのじゃないかと必要以上に気を遣ったのを覚えています。

飛行機では、私はマスク二枚にフェースシールドをして帰国したのですが、思いの外アメリカ内の飛行機は、密集していました。

唯一アメリカ発日本行きのANAの飛行機で、一列に私一人という、過去には考えられないほどの空席状態での搭乗となりました。

CAさんたちには本当に感謝の気持ちでいっぱいなのですが、経済が回らない巨大な額が関わっているという恐怖を肌で感じた気がしました。

そして、隔離の後、地元の友達を中心に会うことが叶いました。

ほんっっっとに嬉しかったです。

20年以上の付き合いの友達が、幼稚園の友達が、小学校の友達が、中学校の友達が、高校の友達が、私の名前を呼んで、私の手を握ってくれた時、涙が止まりませんでした。

必死に自分をアピールしないと、この国境という街では、私のような日本人を受け入れてはもらえません。

アジア人なんて全くいないからこそ、珍しくて仕方ないのはわかるけど、もう、、、、毎回友達づくりは振り出しに戻ってばっかだ、、、なんて思っていたので、17ヶ月ぶりに大好きな友達が私の前にいる幸せは夢のようでした。

私のことわかるの?私のこと知ってるの?って当たり前のような話だけど、17ヶ月も国境にいるとやっぱり感覚がおかしくなってました笑

でもみんな、すごい愛でいっぱいいっぱい褒めてくれて、迎え入れてくれて、決して長い時間だったわけじゃないけれど、これこそ”一瞬”だなって思いました。

中には、小学校のグループが特に大人数なんです。

女の子4人と、男の子4人。

こうなると、もう絶対に会っちゃいけないじゃないですか。。。。

諦めてたんです。

小学校のいつめんに会えること、、。

そしたら、みんなPCR検査を受けてから集まってくれて、陰性結果を知った上で集まって、え?って一瞬受け入れられませんでした。

だって、みんな、、、、、まさか自腹で?テスト受けたの?って思いました。

そんな嘘だって思ったけど、

またアメリカに帰るから、陽性になったら飛行機大変

って言ってくれたんです。

涙が出るかと思いました。

しかもお店は、友達が貸切にしてくれて、ほんっっとに夢の時間でした。

その数時間が一瞬だったからこそ、今でもあれは夢だったんだと思うようにしています笑

この思いやりは、どこから来るんだろうって、、、

私が大事な友達のお父さん、私を気にかけて応援してくださっていた人をコロナで突然失ったことは誰にも話していなかったんです。

何があったかとかも話してはいなかったし、決して深いとこまで考えているみんなじゃないだろうけど、この優しさは一生もんだなって思います。

この長年の付き合いのみんなには、きっと言わずとも、言葉にせずとも伝わっていた部分があったんだと思います。

日本人として、一人異国の地に行って、誰の助けもなく、家すらなかった私が今も生きていること、私の友達たちは、みんなすごいよすごいよってたくさん言葉をかけてくれて、それがまた私の充電時間になりました。

この時初めて、心の底から、”人との繋がり”を感じられた気がしました。

明日から、またフロリダでの過去話と現状を同時進行でここに書かせていただきたいと思います。

このブログはただの私の趣味として始めたものなのですが、少しだけでも”人との繋がり”を感じられたらなと。

今の時代、自分たちが持っていた権利や自由がなくなって、失うものもたくさんあって、悲しいけれど、唯一失ってないのは、思いやりの気持ちなんじゃないかなってすごく自分に言い聞かせています。

他人の悲しみや悔しさを簡単に言葉であらわすのはよくないけれど、そっと寄り添うことができる人間でありたいなって最近より強く思いました。

1つ1つの幸せを噛み締めながら、欲張りにならず、一歩一歩また今日も宿題提出から頑張っていきたいと思います。

みなさんにとって、今日も良い日になりますように。

今日はこのあたりで。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

手洗い、うがいをお互い大切にしましょうね。

またね。

投稿者: アメリカひとり留学

はじめまして。 私は、東京生まれ東京育ちの下町っ子です。 今はアメリカにあるアジア人1%の学校に通っています。 自分が企業や学校を使わずに、一人でアメリカの学校と契約したことや留学生活について、文字に起こしていけたらなと思ってます。 そして、今現在コロナウイルスで世界中が大混乱になっていますが、私は現在もアメリカに残ってオンライン授業を受け、隔離生活中です。 少しでも、『あ、こんな子がいるんだ。』って知ってもらい、 家族と一緒に生活している方は今の環境を幸せに思ってもらえたら嬉しいし、 私と同じく今一人で生活されてる方には、一人じゃないっていうことがほんのちょっとでも伝われば嬉しいです。 よろしくお願いします。

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