さて、今日は、、、*
エッセイの宿題。
今日は、エッセイの宿題について話したいと思います。
去年の秋学期、数学以外のクラスで、エッセイの宿題がたくさんありました。
特に多い日は、1週間に合計4つもエッセイがありました。
アメリカのエッセイの書き方は、そこまで難しいわけではないのですが、どこかインターネットから引用などすると、その時点で0点となります。
もしも、誰かの意見を引用、参考にする時には、必ずURLを添付しなくてはいけません。
それくらい、エッセイ一つに対しても厳しい評価がなされます。
私は、今まで自分の意見というものをはっきり持たないまま生きてきました。
というよりも、そこまで物事に興味がなかったのが事実です。
ドラマや映画の見過ぎなのか、感受性が人より強いから、涙もろかったり、胸が痛くなったりする部分もありますが、自分の好きなこと、興味のあることに無我夢中になっていた10代でした。
でも、エッセイとなると、しっかり因果関係を作ったり、論理的に、または筋の通った文章を書かなくてはいけません。
自分にとって、何が一番大切か、何が一番伝えたいことか、それにとことん着目してまとめてから書くようにしました。
日本人の視点は、アメリカ人の生徒に比べて異なるようで、先生から
しっかりかけてる。そんな意見があるのか。そのアイデアは貴重だね。
なんて言ってもらえる回数が増えていくごとに、私のエッセイへのやる気はどんどん広がっていきました。
”今日の一枚”で、貼らせてもらった写真のようにエッセイの数は、1クラスだけで合計20を超えるほどでした。
きっと1学期の間に、合計1万文字以上は打って提出したんじゃないかなと思います。
エッセイを提出する際、ある一つのお話や、ジャーナルの記事、作家さんの意見についての記事を読んでから、自分の意見を考えなくてはいけません。
その記事が、時には自分の英語力よりもハードルが高いものだったり、読みやすいものだったりとバラバラだったので、読み切るまでにもたくさん時間を使いました。
先生によって、評価基準も違うのですが、私がとっていたクラスの先生はどれも評価に厳しい先生でした。
少し文法が異なっていると、減点の対象となります。
もちろん、私は英語の文法が100%完璧というわけではないので、自分でエッセイを書き終えた後、チューターさんのところに行ってチェックしてもらいます。
しかし、どのチューターさんを選んでも、自分の先生が正しいと思う英語の使い方、文法が異なれば、もうそれは減点の対象になります。
たとえば、違う州からきた先生やチューターさんもいらっしゃいます。
もしくは、まだ生徒だけどめちゃくちゃ本を読むチューターさんで、綺麗な英語を話す人もいます。
なのでこれに関しては、先生とチューターさんが100%同じ文法で普段生活しているとは言えないのです。
関西弁と一括りにするのではなく、蓋を開けてみたら、大阪弁と京都弁も少し違うのと、似ているのかなと思いました。
私は、すごく提出物の多い先生を選んだからこそ、楽ではないにしろ、自分の成長には繋がったと言えます。
たとえ間違えても、次のエッセイで生かしていくしかないのです。
悪い点数でも、自分の環境や経験から生まれる意見に自信と責任を持って発信していくこと。
時に難しすぎて、無知な私は自分の実力を知り、悲しくなります。
でも、そんな状況から抜け出せるのは自分自身でしかないので、月日を重ねるごとにこの性格をエッセイを通して身につけていきました。
もしも、エッセイを書くときのコツやアドバイスがあれば、コメントくださるとありがたいです。
今日はこのあたりで。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
手洗い、うがいをお互い大切にしましょうね。
またね。