さて、今日は、、、*
私の生活をそばで一番支えたくれた人。
今までのブログでも何回か話したのですが、今日はチューターさんについて話したいと思います。
あの人との出会いが私のアメリカ生活の土台を作ってくださいました。
始まりは、奇跡的に取れた夜のクラスの先生との会話からでした。
20:30に終わる授業で、私は先生に家まで送ってもらっていたので、そんな中、電気会社との契約に関して、先生ご夫婦に相談させてもらっていました。
一人暮らしで、一ヶ月どれくらいの値段になるのか無知すぎて、私には基準がわかりませんでした。
最初に、少しだけ契約時の話をさせてください。
わたしのアパートメントは、水道代が家賃の中に含まれていて、Wi-Fiと電気は自分で契約しなくてはいけません。
Wi-Fiは、携帯を買った時にオススメされたWi-Fi会社と契約できました。
契約するときは、必ず電話で契約となるので、すごく不安でした。
緊張しているからか、相手がなんて言っているか電話だと理解できない事が多くて、わたしの母国語が英語ではないことなど、最初っから伝わるわけありません。
なので、しっかりどのプランを使うか事前に調べて、電話の際は、一生懸命間違いがないように伝えました。
Wi-Fiが届いた後、わたしは、繋げるプログを間違えたみたいで、これまたパニックでアパートメントオーナーに繋がらないことを伝えて、直しに来てくれた人がいたんですけど、その人に、あなたは違うところに入れようとしてたからだよと教えていただき、なんとかWi-Fiは使えるようになりました。
あのときは、何度トライしても繋がらなくて、不良品なんじゃないかなんて考えて、パニックになっていたので、無知ならひとりで悩まずにトライして無理だったら、頼ることも大事だなと思いました。
そして、電気代に関しては、最初自分で利用可能な電気会社に電話して、一番安い会社と契約していたつもりだったのですが、、。
先生に相談していく中で、先生は、大人数のご家族で暮らしていたので、一人暮らしの子には、良いアドバイスができないと言って、色々調べてくれようとしました。
そんな中、先生の息子さんがわたしの学校内で働いているらしく、息子さんに相談した際に、日本に住んだ経験のあるチューターがいると教えてくださったそうで、、。
それを先生から聞いた時、わたしは目が飛び出るかと思うくらいびっくりしました。
だって、日本人なんて一人も学校にいないと聞いていたから。
アジアの顔をした生徒を見ることすら、本当にありません。
4つのクラスを受けていたけど、各クラス生徒の名前を聞いていても、一人もアジア人の名前の人はいません。
すごいですよね、あんだけアジア人も留学している、もしくは海外赴任などで海外の学校に在籍している、アジア系アメリカ人として生まれ育っている生徒がいる世の中なのに、一人もいないなんて、、。
それだけ何もない田舎なんですけど、そのチューターさんとの出会いは、まさにわたしのアメリカ生活、一番の誇れる出会いになったんじゃないかと思えるほどです。
わたしの先生が、わざわざ図書館まで一緒に連れてってくださって、そのチューターさんにこの子は日本から来て、困っていることがたくさんあるみたいで、もしよかったら助けてあげてほしいと直接お願いしてくださったのです。
それが、わたしとチューターさんとの始まりでした。
チューターさんとわたしは、日本語ではあまり話さず、ずっと英語で会話をしていました。
チューターさんは、わたしと同じで一人暮らしをしていた人だったので、ありがたいことにわたしのアパートメントで利用できる可能な電気会社にたまたま詳しく、より安いプランを教えてもらえました。
わたしの横で、会社と契約する際、電話を聞いてくれたり、そばにいてくれるだけで安心しました。
その人は、男性で、歳は60?ぐらいの方です。
あの日からそのチューターさんが出勤しているときは、毎日図書館に足を運びました。
宿題で困った時。
契約で困った時。
学校のことで悩んだ時。
友達との話。
日本の家族や友達の話。
将来の話。
どんな時でも話を聞いてくださって、わたしの理解者でいてくださいました。
こういうと、わたしはペラペラ英語が話せるように聞こえるかもしれないけど、あの時のわたしは、英語のスピーキング力がありませんでした。(今でもですが。)
完璧主義者のように、英語を間違えることばっかり恐れてました。
間違えること、伝わらないこと、誤解されてしまう文章の使い方への恐れ。
たくさんの恐れがあったのに、なぜかそのチューターさんの前だと一生懸命伝えようと頑張る自分がいるのです。
なんでだろうってずっと思ってたんですけど、最近その答えが出た気がします。
その人は、わたしの間違った言い方や単語ですらもまずは全部聞いてくれるんです。
わたしの言いたいことを全部聞いて、そのあとにこういう伝え方をする方がいいよとか、こう伝えたらより良いねって教えてくださるんです。
私が変われたきっかけでした。
そして何より、彼への信頼があるからこそだと思います。
わたしのために、いつもわたしの安心できる環境、場所を作ってくれました。
その人は、わたしに出会う5年前に岡山県で英語の先生をしていたそうです。
住んでいたのが5年前というだけあって、チューターさんは日本語がペラペラなわけではありません。
なので、仲良くなっていくにつれて、わたしが日本語を英語で教えたりする時間もできました。
それが何より、わたしの幸せに繋がりました。
頼ってばかりのわたしが微力ながら人の力になれたような気がして、とても素敵な経験になっています。
そして、一番このブログに書きたかったこと。
それはなんと、先生がわたしとの出会いを機に
もう一度日本で、英語の先生の仕事をやってみようと決意したことです。
先生と一緒に過ごせなくなることはとても寂しいし、チューターさんなしでの生活なんてわたしのメンタル的にも想像つかなかったけど、聞いたときはすごく嬉しくて、誰かの夢の後押しができたのかなと自信にも繋がりました。
無事に日本での仕事先も見つかり、Visaも届いて、飛行機のチケットも買えたのに、、、。
その出発日がコロナウイルスという目に見えないウイルスの大混乱時期と同時期になってしまったのです。
だからこそ、この数ヶ月はわたしがチューターさんの夢を支える番だと思い、たくさん話をしました。
オンライン授業になって、チューターさんとは直接会えなくなりましたが、チューターさんはいつもと変わらず、たとえ勤務時間を終えてても、日曜日でもわたしのことを支えてくださいました。
私のためにいつも時間を使ってくださるのです。
疲れているときも、忙しいときも、、。
そして、わたしが今ここにいるのもチューターさんのおかげだと心から思います。
だから私は、日本で先生としてチューターさんのことを待っている子供達が学校がある限り、諦めないでほしいと伝えました。
彼の日本で働くという覚悟が固かったこともあり、もう一度Visaの申請をすると言ってくださいました。
その話を聞けたときは、とてつもなく嬉しかったです。
チューターさんとの9ヶ月は思い出すだけで、とてつもなく濃くて、一緒にゲームをしたり、クリスマスプレゼント交換をしたり、わたしの涙を受け止めてくれたときもあったり、言葉にはできないほどです。
こうやって書いていると、一人でなんでもできそうとか、一人に慣れているとか、英語ができるんじゃないかとか思われてしまうと思うのですが、何万回も日本に帰ろうと思いました。
涙が止まらない日もあったし、なんども他の街で、他の州で、他の学校で、留学をまた新たに始めようなんて話した日もありました。
だからこそ、このチューターさんとの出会いは、私がこの街に残る一番の理由になったと思います。
というよりも、チューターさんとの出会いが私がこの街を選んでよかったと思える一番の理由だと言えます。
どんなに友達がいても、信頼できるかどうかというのはまた別の話になってくるし、この街は、当たり前ですが、日本では違法の薬をやっている人もいます。
どんなに良い人でも、誰がどこでそういう薬をやっているのかもわからないし、語弊があるといけないのですが、州によってはそれが合法なものもあります。
海外で誰にも守られず、一人で関係性を作っていくというのは、とてもサバイバルだけど、そういう自分にとって危険だと思ったものも取捨選択しながら、環境を作っていかなきゃいけない生活でした。
こうやって乗り越えていく過程も、このチューターさんが見守ってくださいました。
これからのブログにもまたチューターさんについて、書けたらいいなと思います。
今日はこのあたりで。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
手洗い、うがいをお互い大切にしましょう。
またね。